母の居ない 「母の日」

4月29日のAM1:10に 大好きなお母さんが天国に旅立ちました。

肺癌の末期でした。
右の肺は全部が腫瘍で埋めつくされてつぶれている状態でした。

腫瘍のせいで骨まで溶けている最悪の状態。
ものすごい痛みを我慢していただろうと言われました。

その悪性腫瘍が、小腸と喉とリンパと・・・全身に転移していました。

3月上旬、あと3ヵ月ももたないと医者に言われました。
その後、転移した腫瘍のせいで腸閉塞に。

緊急でその腸閉塞の手術をしたのが3月25日。
仕事をしていたら呼び出されて、病院に駆けつけました。

手術後、「このまま目を覚まさないかもしれない」 「覚ましても、あと数日です」 と言われました。

その日の夜、私は今までの人生で一番、泣き崩れました。
泣いて泣いて、叫んで、悔やんで、祈って、本当に震えました。

仕事もずっと休み、朝から晩まで病院で母に寄り添いました。

母は目を覚ましてくれました。意識も取り戻してくれました。

奇跡でした。

生きたい、というものすごい生命力で頑張ってくれました。


手術後1週間後には人工呼吸器も取れて、喋れるようになりました。
母はあまり喋ってはいけないので、私の方がいっぱい話しかけてたくさん会話をしました。

私のことを、「かわいい」と何度も何度も言ってくれました。
自分は痛みや苦しみと戦っているのに、それでもまだ私に愛情をたくさん注いでくれました。

だんだん痩せて、黄疸も出てきて、ものすごい浮腫みも出て
見るだけでかわいそうな姿になってきました。


4月15日。
もう治療も何もできない、もう本当にあとわずかな命だ、と 改めて宣言され
今のうちに会わせたい人に会わせてあげて欲しいと言われました。

ホスピスという最期を迎える綺麗な病院に移動する事になりました。
4月27日、その綺麗な病院に移動しました。

看護師さんも天使みたいな人ばかりで、部屋も広くて綺麗で、母は少しご機嫌でした。
痛みに苦しみながらも、穏やかな環境に満足していたようでした。

午後2時、私も母も大好きな、ある人からツイッターでメッセージが届きました。
嬉しくて夢みたいで、震えて泣いてしまいました。

母にそのメッセージを見せると、ものすごく喜んでいました。

その日の母は、急に元気になっていっぱい喋ってくれました。
今まで痛みと浮腫みで動かなかった手が動きました。

びっくりしました。
手が動いたことが嬉しくて、元気になるかも!と希望を持ちました。

その手で、私の頭を何度も何度も撫でて、「かわいい~」と笑顔で言ってくれました。
我慢できずに私は号泣してしまいました。

そしてすぐに母を抱きしめました。

「私の為に辛い思いさせてばっかりでごめんな。痛い思いさせてごめんな。ほんまにありがとう。」
と言いながら抱きしめました。

母は「私も抱きしめたいけど、手が痛くて抱きしめられへん。」と笑いながら言ってました。

27日は、本当にたくさんお話して、いっぱい触れてとても嬉しい1日でした。

帰り際に母が言った「バイバーイ!」が最期の言葉です。


28日、私の引越しの日でした。
朝5時頃に病院から電話があり、脈拍も下がり下血もしていて悪い状態だと。
引越しを止める訳にいかないので、親戚に先に病院に行ってもらい、私はとにかく引越し。

お昼過ぎに、「少し落ち着いたから大丈夫。今は寝てる。」という連絡をもらい
少し安心して引越し作業。

それを終えてから急いで病院に向かいました。

痛みどめの薬で、ひたすら眠っていました。
前日の元気な様子が嘘みたいでした。

母は、ただただ1日中ずっと眠っていました。

29日になったばかりのAM0時過ぎ、また急に脈拍が下がりました。

脈拍がどんどん下がり、静かに眠ったまま呼吸が止まりました。

そして、心臓も止まりました。


最愛の母を亡くした今、悲しくて寂しくてたまらないです。

しっかりしなきゃ、頑張らなきゃ、元気を出さなきゃ、と強がってみるけど
やっぱりどうしたって、悲しみは消えません。

元気なふりして頑張っているけど、やっぱりとてつもない喪失感です。

胸がぽっかりしています。
愛しい空っぽを抱きしめている毎日です。


失ったものは果てしなく大きいけど、得たものもたくさん。

親戚、友達、仕事仲間、好きな人、そして大好きなアーティスト。
全ての人が私とお母さんを支えてくれました。

人の優しさに触れて、本当に感謝しています。

ただ、やっぱりお母さんがいないという現実が辛いです。


お通夜の日、母が好きだったレミオロメンの春夏秋冬をかけました。
告別式の日、出棺の時はバンプのsupernovaをかけました。

私とお母さんは好みが似てるから。

お母さんのお友達や仕事関係の人がたくさん駆けつけてくれました。
全ての人にきちんとご挨拶をしました。

皆、母の事を褒めてくれました。

「いつも笑顔で明るくて、気配りができて、太陽みたいな人」 と皆さんが言ってくれました。

子供の私から見ても、自慢の母親でした。

曲がったことが嫌いで、正義感が強くて明るくて、細かい気配りができて、
自分のことよりも他人のことをいつも考えていて、料理が本当に上手で、スタイルも良くて
愛情深くて、私のことを誰よりも愛してくれていて、身体が弱いのに愚痴をこぼさず働いて・・・

もうきりがないくらい。

早すぎる死に、未だに涙が止まりません。

これからは私の事をずっと見守ってくれるはずですが、
やっぱり触れたいし話がしたいです。とにかくもう一度会いたいです。

今日は母の日です。
私はもう、何かをしてあげたくてもできません。

皆はどうか、生きているうちにお母さんのことを大事にしてください。

お母さんという存在の大事さ、ありがたさ、ずっと噛みしめて生きてきました。
特に、死を宣告されてからの1ヵ月は本当に母親の存在の大事さを意識して生きていました。


それでもやっぱり


本当の大事さは、居なくなってから知るんだ。
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by chizu-moto | 2010-05-09 22:33 | ■キモチ